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天天晴天:台湾ドラマと中華なドラマ

台湾ドラマや中華なドラマの感想を書いています。吳慷仁が好きです。

「夏の協奏曲」 第28話から最終回

「夏の協奏曲」(戀夏38℃)、全30話、見終わりました。30話分、つくり手の金門愛を見続けた今、あの登場人物たちが生活する美しい街並みとのお別れがさみしい気分に。

 

以下、ネタバレです。

 

 

 

いいところもたくさんあったけれど、気になってしまう部分もポロポロ出てきて、もっといいドラマになったのに、という気持ちになってしまう全30話でした。映像もきれいですし、全体の雰囲気がいいだけに、もっと、という気持ちが生まれてしまうんですよね。

 

小青が亡くなったあと、こんなに長い期間、阿寛を騙し続ける必要があったのでしょうか。「誰にとってもフェアじゃない」、許磊の言う通り。許磊がまともで安堵します。このあたりは、言い訳めいたとしても、もっと強い何かがほしいところです。

 

天晴が阿寛を好きになってしまうことは、容易に想像できました。小青だと思っているにせよ自分に好意を向けている阿寛と、小青のふりをしながらでも天晴自身が彼と気持ちをかわしていけば、いつしか本当に心が動いてしまうことも仕方ないことのように思います。それが小青の願いとはいえ、こんな身代わりは酷です。

 

だからこそ、そんな役割を必死で果たす天晴が阿寛にひかれていったとしても、責められなかったと思うんですよね。天晴が阿寛を愛してしまい姉のふりをしたままでいようとする、というところまではいいのですが、天晴が“小青も天晴を演じていた”、と言うところではがっかりしました。天晴にこんな台詞を言わせてほしくない。

 

小青が幼い頃の天晴を演じて今は自分が小青を演じている、姉妹で同じ人を愛した、と天晴が言いますが、演じている、のレベルが違い過ぎます。この天晴の台詞に共感できるには、幼い時の阿寛と天晴の出会いや七七恋習曲のエピソードがのちの小青と阿寛の関係に大きく影響している必要があると思いますが、小青と阿寛は、そういう出会いとはもはや関係なく愛し合っていたはずです。天晴の方も、ここまで、七七恋習曲のことを重く引きずっていたわけではないだけに、このタイミングで天晴自身がそれを言うといい印象は抱きません。あとで皆が気づいて心にすとんと落ちればいいことだったのに。

 

天晴が阿寛にひかれていく過程はもう少し繊細な心の変化が見たかったなあと思いますが、こういう表現は難しいものなのでしょうか。天晴派としては、天晴の気持ちをうまく伝えてもらってもっと入り込みたかったです。

 

この双方が演じていた話は、小青が阿寛に宛てた手紙にも、「あなたの愛を天晴に返すわ」という台詞があって、もともと阿寛が愛していたのは(愛したかもしれないのは)天晴、というところが鍵になっているのですよね。大筋としてはおもしろいと思いますが、ここまで、淡い思い出のようにも見えていた幼少期のエピソードが急に重い扱いになっているように感じてしまい、そこは少々戸惑いました。

 

それでも、最後の天晴の爽やかな笑顔と阿寛の幸せそうな表情で気持ちよく終了です。

 

最初に出会っていたのは自分たちだと阿寛も気づき、ここから新たに始まっていく二人には爽やかさを感じました。天晴の方が好きなので天晴寄りに見てしまいますが、小青目線で見ても、小青を失ったと知ったときの阿寛の嘆き悲しみと時間の経過で、十分に天晴と阿寛を受け入れられる気がします。

 

中盤以降、許磊のいい人っぷりにひたすら感心し、登場人物にもてないのが不思議でしたが、最後に李静とくっつけてきたのは蛇足というものです。いまさら李静はない。この二人がそういう関係になるのなら、もっと別のタイミングでなっていたはず。人物像を考えれば、友人関係のままそれぞれの道を歩かせる方が魅力的だったと思います。

 

とにかく、金門をはじめとする街並みが美しく、文化がしっかりかつ自然にドラマに組み込まれているところがとても良かったです。

ドラマとしては、登場人物にもう少しパワーがほしい、そんな印象ですが、小青だろうと天晴だろうと、鬼鬼とジョージフーがやたら楽しげなので、見ていて気持ちよく、ジョージフーには遠慮なく好みで相手役を選んでほしいと思った夏の協奏曲でした。