「キミをプロデュース」 第26話(最終話)
「キミをプロデュース~Miracle Love Beat~」(A咖的路)、最終話。
アジアドラマチックTVさんで第1話が放送されたのは、ちょうど吳慷仁の33歳のお誕生日でしたが、あれから約3か月。吳慷仁出演作3作品を視聴できるという嬉しい時期を経て、最終話は郭軫とのお別れの直後に放送でした。
そして、第26話は、ものすごいスピードで過ぎ去っていきました。
以下、ネタバレあります。
シューユーとリーダーが第1話のように共にオーディションを行っています。協力し合っている二人はとてもいい雰囲気で、一緒にいるところを見ているだけで嬉しくなります。
このドラマ、実はシューユーとリーダーの愛の物語だったのかも。
リーダーは、頑固だけれど根底には優しさがあって、不器用だけれど頼りがいのある人だと思います。聴力を失って、これまでの地位も目指していた夢も失って、表面は平静を装っているけれど本当は深く傷ついているに違いない今のシューユーのそばにリーダーがいることに、大きな安心感を抱きます。
ついにA咖になったウェイジェンが登場しました。しかも男付き。
雰囲気もかなり違います。アメリカに行っていたとはいえ、短い時間に、あまりに雰囲気が変わり過ぎです。ところがヒロインとしてはむしろ魅力的で、これがもしラストに一気に変化したのでなければどんなに良かったかと思います。
オーディションを受けに来た女性がウェイジェンの持ち歌でもある「快樂快了」を歌い、シューユーとウェイジェンの思い出のシーンが挿入されました。この二人の過去のシーンはとてもいい感じです。
でも、その声が、ジアシンなのです。
そもそも、エンディングの「快樂快了」を歌う家家の歌声が劇中のジアシンの歌声になっている時点で妙なことになっているわけですが、家家の声をジアシンの声にした以上、ここはウェイジェンの声であるキミ・シアの歌声にしてほしかったです。
そして、そのあとの「春天裡」も、ウェイジェン(キミ・シア)ではなく丁噹の歌なのです。
音楽業界を扱い、音楽を大事にしている人たちが作り手にいるのに、この辺りはやけに大雑把。家家や丁噹の歌を流したいということかもしれませんが、せっかくヒロインを演じるキミ・シア自身が歌ったのですから、そのまま使えば良かったのに。ドラマとしての設定と歌としての魅力、どこに重きを置くかなのかもしれませんが、声というのはやはり重要です。
プライドも自信も無くして、傷ついている、それでも、それを表に出せない、そんなシューユーが歌姫となったウェイジェンと話すシーンは、なぜかとてもシューユーに心惹かれました。こういった、心の中では傷ついているけれど隠してそれに耐えている、といった場面を演じるときの吳慷仁は、その複雑な気持ちを表現するのが本当にうまいと思います。惚れ惚れします。
そんな中、久々に妄想シーンが!!
最初の方に何度か登場した妄想シーンではウェイジェンが妄想していましたが、ここではシューユーが妄想をし、シューユーがおばかな勘違いをします。ばからしいけれど、笑えます。
酔っぱらってアニーと語り合うシューユーもコミカルでかわいいです。
「俺も昔、ウェイジェンと指輪を選んだ、その指輪で求婚したよ、ジアシンに」。
…。二人で笑っているけれど、こちらは微妙に笑えない、男子の自虐トークでしょうか。
なんで今になって再びおもしろくなっているのか、もうすぐ終わりなのに、なぜ今になって。おもしろくなっているのに悶々とします。
ウェイジェンに本当の気持ちをぶつけたシューユー。ずっと抑えていたのでしょうね。そしてウェイジェンに、心から愛してる、と言うシューユーを見ていて、ようやく二人が本当に結ばれたような気がしました。
タクシーで行くはずがトラブルでバイクに乗ってライブ会場の朝天宮へ。これも第1話のウェイジェンと同じです。A咖になったウェイジェンが登場しめでたしめでたし。
と思ったところで、シューユーとウェイジェンの歌声が第1話のシューユーとジアシンと同じでびっくり。でも、おさらいのように流れる過去のシーンに幸せな気分になりました。
ジアシンもいる方がいいなあと思いましたが、最後になって映像で参加。香港にいる、というのは、彼女も活躍しているという意味なのでしょう。
すっかりたくましくなったウェイジェンと尻に敷かれそうなシューユーの微笑ましいシーンでハッピーエンド。
濃密な最終回でした。
最後に流れた過去のシーンの数々を見ていると、やっぱりおもしろかったな、と思います。その一方で、全話のペース配分のバランスがあまりよくないことと、ウェイジェンという女の子の人物像がぶれ続けたことが、ちょっと残念なところです。
もし編集し直したら、すごくおもしろくなるかもしれない、と思ってしまいます。第1話から、ちょっと独特のテンポで、それがおもしろいと思ったのですが、そういう意味合いでの時間ではなく、全話を通してのペース配分がいまひとつ。特に、ジアシンへのプロポーズ辺りからシューユーが聴覚に障害を来す辺りまでがとても長く、方向性としても定まらなかった気がします。
急展開をし始める最後の3話分くらいで、突如として、序盤の持ち味やおもしろさを取り戻し、人物像も序盤と最後が繋がり、細かな出来事もまた序盤と繋がるという、不思議な展開を見せていました。
シューユーがジアシンと別れてから第23話辺りまでは、ちょっと迷走しているような印象で、人物像もつかみにくく、特にウェイジェンはかなりぶれてしまったように思います。この十数話分をささっと終わらせて、ラスト3話分くらいを丁寧にゆっくり描いていくれたらどんなによかったか。
終盤、あまりに猛スピードで、シューユーの両親のエピソードも本当はあったかもしれないのにさらっと流れ、ウェイジェンがいつシューユーの耳が聞こえないことを知ったのかもわからない、というのはやはり残念です。
ウェイジェンの登場シーンは、「祝宴!シェフ」(總舖師)のキミ・シアの登場シーンとかなり似ています。キャラクター設定、ピンクのヘルメットでバイクに乗るシーン、バスタオルを頭に巻くところなど、意図して「祝宴!シェフ」と似せているのかなと思う部分があり、映画を先に見た人には楽しめるポイントだったのかもしれませんが、キミ・シアに関しては、「祝宴!シェフ」の方が圧倒的にかわいいです。
ウェイジェンは、世間知らずで素朴な夢を追う女の子のように描かれていますが、10代までキッズスターだったのですから、子供なりに業界のことを知っていたはずです。彼女が目指すものが何なのか、歌を届けることなのか、スターになることなのか、最終回やタイトルからは後者に見えるのですが、そうではないかのように描かれる時があり、彼女の長所も、どうも定まらない。最終話に出てきたA咖になったウェイジェンを、もっと時間をかけて描いていたら、まったく違う印象になった気がします。A咖になったウェイジェンは、キミ・シアの落ち着いていて安定感のある持ち味が生きて魅力的でした。
そもそも、ヒロインでもないジアシンとの恋人期間が長く、第11話ではプロポーズまでしてしまうという展開自体、「キミをプロデュース」してもらうつもりで待っている身としては長かったのですが、シューユーを軸に見ると筋が通ります。よくあるドラマとは一味違うおもしろさと、なぜだかペース配分がおかしく迷走する中盤と、いいところもいまいちなところもあるA咖的路でしたが、好き嫌いで言えば、好きです。
ウィナー・バンドのメンバー、グァングァン、アニーなど、登場人物たち皆を好きになれるドラマでした。
シューユーについては、DVDを最後まで見たあとにゆっくり書きたいと思っています。