天天晴天:台湾ドラマと中華なドラマ

台湾ドラマや中華なドラマの感想を書いています。吳慷仁が好きです。

「一把青」:郭軫5

台湾で放送中の「一把青」は、先週放送された第21話から、舞台が台湾に移りました。予告は見ましたが、郭軫が逝ってしまったところで一つの世界が終わったようで、しばらくこのまま留まっていたいような気持ちです。

 

第21話以降は、原作の「下」に相当する内容になっていくということでしょうか。

原作の後半は、小顧が朱青の恋人で、小顧は郭軫と同じような結末を迎えるけれど朱青はもう何も感じない(かなり概略)、といった内容でしたが、小顧は原作よりも膨らませて描かれていますので、果たして原作のように終わるのか、彼はもしかすると生き続けるのではないか、とも思っています。ここまで、多くの物語が加えられながらも、見る限りにおいては原作からの乖離を指摘する意見はなく進んできています。でも、最後はどうなるでしょうか。原作の解釈やドラマとしての描き方についてはもちろんのこと、もう登場しない郭軫が、朱青の中でどのような存在になっていくのかが気になります。この物語の終わりは、どう着地するにしても、難しそうです。

 

以下、具体的なことを書いていますので、ご承知の上ご覧ください。

 

朱青と結婚したばかりの郭軫は、第15話で、朱青を残し東北に発ちます。東北行きが決まった郭軫と朱青がそれぞれ新しい513に語りかけ、郭軫が無事に帰ることを願うシーンはなんとも切ないです。朱青のために行かないと言い出す郭軫と、郭軫のためにそれを受け入れない朱青、お互いを思いやる二人に、恋人時代よりもさらに深い思いを感じます。

 

出発の場面では、観ている側は最後のお別れの時とわかっているので、少しでも二人に幸せな時間を刻んでほしいと願ってしまいます。この時の朱青は郭軫が最後に見た朱青であり、この時の郭軫は朱青が最後に見た郭軫です。そう思った時、待つように立ち続ける朱青の姿と、朱青を抱きしめた後に飛行機に乗り込む郭軫の姿というのは、とても象徴的です。

朱青は郭軫が孤独でないようにと鳩を持たせますが、この鳩も、必ず帰るからと言って郭軫が書かなかった遺書も、これからはあなただけが私の家族という朱青の言葉も、すべてが過去とも未来とも繋がっていて、本当に丁寧に紡ぎ出された作品だと思いました。

 

そして第19話では、ついに郭軫がその生涯を終えてしまいます。

過酷な東北での郭軫は、聡明でもありました。あの中でもっとも全体が見えていたのは、郭軫だったのではないでしょうか。序盤の花花公子の時期でさえ、華々しさだけではなかった郭軫ですが、実は物事をよくわかっている青年だからこそ、ここまで魅力的だったのではないかと思います。

郭軫の最後については、言葉にできない気持ちです。

東北に行ってからの郭軫のことを思い起こしてみると、戦地での彼は、男性から見てとても魅力的な人だろうと思いました。誰もが認める飛行員としての能力、人としての熱い感情、義理堅さ、表には見せない冷静な視線、現実を見据えた判断。ただ、そんな力があるからこそ、自分の置かれた状況を的確に見抜けてしまうつらさが郭軫にはあったのではないかと思います。

 

血に染まった鳩が帰ってきたとき、郭軫は帰ってきたのだと思いました。あの鳩が血に染まっているということは郭軫に何かあったと知らせることにもなります。鳩が知らせに来たとも見えますが、かつて心に傷があると言って朱青に預けられた鳩の513は、当初から郭軫を投影させた存在でもあります。遠く東北から迷うことなく朱青のもとに戻ってきた513。自分の身体では帰れない郭軫が、どれだけ遠くても、どんなことをしても、方向を見失わず、朱青のもとに帰ってきたかのようでもありました。

 

郭軫の死を知らされた朱青は、東北に彼を探しに行く前に、結婚式を挙げた教会にひとりで行き、葛瑞琴牧師に、私たちのためにもう一度祈ってほしいと頼みますます。その祈りの様子は結婚式のようです。朱青は跪き、「我願意」と答え、牧師から郭軫に向けられた言葉には、「他願意」と彼に代わって答えます。

ここでは、朱青が何に対して「我願意」と答えたのかはわかりません。ただ、キリスト教の結婚は、神の前での契約だといいます。死別したあとは、結婚の契約は解除され、残された人を縛ることはしません。牧師の言葉が出てきませんので、どのような内容に対して「我願意」と答えたのかはわかりませんが、朱青の郭軫に対する揺るぎない思いと二人であり続ける決意を感じました。

 

この誓いのとき、牧師が郭軫に向けて言う言葉は、字幕では「該死的飛行員」ですが、damn と言っていると思います。結婚式の時、証人になるよう迫った郭軫に牧師が言った言葉で、神が罰する、という意味があるようです。このドラマでは、第1話で天心が寝ていた部屋にも、朱青の部屋にも十字架がありました。キリスト教の考えが背景にあるのだと思いますが、その点も興味深いです。

 

今回は長いので、ここから先は、「郭軫6」で書きたいと思います。