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天天晴天:台湾ドラマと中華なドラマ

台湾ドラマや中華なドラマの感想を書いています。吳慷仁が好きです。

「雲中歌~愛を奏でる~」ざっくり③

「雲中歌~愛を奏でる~」ざっくりの最後です。

 

【張天陽はまだ】

雲中歌を見た理由、張天陽(张天阳)。雲歌付きの宦官、斬られたけれどまだ生きていた富裕です。

張天陽は宦官としてへらへら笑っている時よりも、真剣に何かを訴えたり、どろーんとした大きな目に涙を浮かべたり、何かしら動いている時の方がいいです。

張天陽の写真へのコメントに陳暁に似ているという書き込みがあるのを何度となく見たことがあり、毎回、似ていないけどなあと思っていましたが、やはりまったく似ていませんでした。陳暁の方が(今はまだ)断然かっこいい(はず)。張天陽は陳暁とは違う方向にかっこいいと思います。

天陽クンは、昨年末、新しい事務所に移籍し、嚴屹寬(严屹宽)の後輩になりました。その嚴屹寬との共演作で、「宮廷の泪・山河の恋」(山河恋·美人无泪)でも演じたドド(多铎)を再び演じているようです。

そして現在、ご本人はガラの悪いお兄ちゃんのような格好で日本旅行中です。

 

 

【最終回の解釈は…】

あの最終回は、どう解釈すればよいのでしょうか。

劉詢は弓を放ったのか。

これは放ったと思います。あのときの劉詢の状況と彼の表情で弓を引いた手を止めるとは思えません。

では孟珏は死んだのか。

これ、そんなことはどうでもいいのだと思います。孟珏は、生きていても、死んでいても、あの笑顔で雲歌のもとに戻ったはずです。だから、彼の生死は実はどうでもいいことで、孟珏と雲歌の心が残ればいいのです。

 

と思いながらも、考えました。

この終わり方の構成を見ると、蓮の花を手にした孟珏は、すでにこの世の人ではないのかもしれないという気がします。ところが、このときの孟珏はとても現実味のある様子をしていますよね。この様子から、ドラマとしては、生きている、という結末のように思いました。劉詢の弓は放たれたと思うのですが、外したり、あるいは別の何かを射たり、いかようにも展開できます。

ただ、生きているという展開ならば、もっとしっかり見せてほしかった気もするので、すっきりしない感があります。エンディングの映像で雲歌と一緒に子供を抱いて歩いているのは砂漠スタイルになった孟珏ですよね。この女の子を雲歌が抱いている写真もあったので、雲歌と孟珏が結ばれて娘ができるというシーンの撮影はされていたのでしょう。ただ、複数のパターンを撮影しておいて後で決めることもありますから、深読みし過ぎても逸れてしまいそう。

 

生きていることをちらつかせつつも。

孟珏が生きていようと死んでいようと、彼は雲歌のもとに行き笑顔を見せる、実在しようとしまいと雲歌は孟珏を受け入れる、形がどうであろうと、孟珏と雲歌には二人にしかわからない世界がある、ということでしょうか。

 

さっぽろ雪まつりもびっくりな氷の巨大滑り台とか、瀕死の孟珏が手品のように取り出す雲歌の大きな靴とか、何年経っても小さいままの病已と平君の息子とか、大陸ドラマらしい大雑把さにもすっかり慣れてしまいました。

もし自分がなるとしたら。平君が幸せな気がしますが、どうでしょう。そして、もっとも辛いけれど、もっとも崇高な精神を持っている気がする小妹。気高い心を持った小妹が幸せな生涯を送ってくれたらいいなあと思います。