読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

天天晴天:台湾ドラマと中華なドラマ

台湾ドラマや中華なドラマの感想を書いています。吳慷仁が好きです。

「風中の縁」(の九爺) 第24話から第26話まで

「風中の縁(えにし)」(風中奇緣)、第24話から第26話。

 

九爺、こんなに病弱だったとは。もう十分に大変な境遇なので足以外は丈夫設定にしてもらいたいです。

 

以下、ネタバレあります。

 

 

 

莘月:「九爺様は私を捜していた 見つけていたら今頃どうなっていたかしら」。

それ、私も知りたいです。

 

かつて無忌が九爺に対し莘月の居場所を隠していたことを知った莘月は無忌を責めますが、これは無忌が気の毒です。あの時、無忌が莘月の行方を隠したことは確かに少々気になりましたが、恋敵から莘月を奪いたいと思っても不思議ではないし、九爺に傷つけられた莘月を守りたいという思いもあったはずです。莘月だって九爺の本心をまだ知らないその時に問われたら隠してほしいと思ったかもしれないのに。莘月は今になって九爺の本心を知り、どれだけ犠牲を払って自分を捜していたかも知って、気持ちの整理ができないのかもしれません。

 

莘月に責められ飛び出した無忌、あっさり落馬。

 

いつも九爺の側近の石謹言が何も言わない九爺に代わって彼の苦労を莘月に伝えるように、今回は衛府の家職、陳さんが無忌の援護にやってきます。自分は莘月の行方を尋ねに来た九爺を手厳しく追い返した、九爺を侮辱した、若様の命令で御者を捕え宿の者に口止めをしたけれど、九爺を侮辱したのは自分の一存、若様が弁解しないのは自分をかばうため。これ、フォローになっているような、いまいちのような。それより、さっさと無忌の落馬を伝えて、急ぎ彼を救う体制に入ってほしいです。

 

莘月に頼まれ、落馬で昏睡状態になった無忌を救った九爺でしたが、治療を終えたあと倒れてしまいます。このときの陳さんがまたもや失礼。九爺が倒れたのを見た途端、急いで石舫に送れと人を呼ぶのですが、見るからに具合が悪そうな様子で意識を失っている人をすぐに馬車で家に返すのでしょうか。そして、九爺の治療の負担を語りここまで持ったのは奇跡だと話す侍医に向かって、若様のためにも九爺様を必ず治してくださいと頼みます。この人は発想が徹底して自分本位です。

 

結局、莘月が付き添い九爺を石舫に送ることになりますが、莘月には無忌のもとに残ってほしかったです。莘月は、もう九爺のもとには戻らないはず。それならば、九爺を送ったりせず、無忌の看病を選んでほしい。

莘月が意識のない九爺の枕元で歌った羯族の民謡、巴雅爾と伊珠の物語の内容は、九爺と莘月にそっくりですが、巴雅爾と伊珠は最後には結ばれるのですね。莘月、なぜそんな歌を歌う。無忌とともに生きる決断が揺らぐことはなくても、九爺への思いはまだ消せないということでしょうか。“誰と一緒にいたい?”という九爺の問いかけに泣き崩れて答えない莘月。九爺のためにも、「無忌」と答えてもらいたいところですが、莘月もまだ気持ちの整理がつかない状態が続いているのでしょうか。無忌に固まっているようでいて、九爺を思う心は生き続けているのかもしれませんね。

 

無忌を助けた時に体調を崩したことで昏睡状態になった九爺に向かって、莘月が「私のために体を犠牲にしないで」と言った時には目が点になりました。莘月が頼んだんじゃなかったっけ…。

あなたに何かあったら自分を責めて心置きなく幸せになれないから元気になれ、って、莘月、率直すぎます。

 

石舫の使者から莘月が九爺の看病に行った経緯を報告された無忌は茶器を叩きつけます。どちらか一方を選ぶ、という意味では、もう勝負はついています。莘月は無忌を選んだし、このあと無忌のもとを去って九爺の所に行くとは思えません。これだけ確実に見えても、無忌をいら立たせるものが莘月と九爺にはあるのでしょう。

 

無忌と一緒にいる莘月は、伸び伸びとして、とても幸せそうです。幸せそうなのですが、なぜか、二番目に好きな人と結婚した方が幸せ、という言葉を思い出してしまいます。今の莘月が一番好きなのは無忌だと思いますが、無忌への思いは、二番目に好きな人に対するそれに似ている気がします。

 

九爺、ようやく脱出。「彼女を大事にせず傷つけた だから潔く諦める 彼女が幸せになれば私の行いはすべて報われる」。この人、理性的ですよね。九爺に努力で補えたであろう後悔すべき部分があったとしたら、巴雅爾と伊珠の話のときに言っていたように、莘月が何を望んでいるのかがわからなかったことなのだと思います。結果的に傷つけたけれど、大事にはしていたし、彼の状況を思えば仕方ないことが沢山あったはずです。でも、九爺はうまくいかなかったことのすべてを自分で引き受け、誰を恨むことも、境遇を恨むこともしません。九爺の、このすべてを受け入れていくところに魅かれてしまいます。

九爺は「諦める」と言いましたが、自分が莘月と結ばれることは諦めても、「彼女が幸せになれば」ということは、莘月の幸せのために尽くす可能性はあるわけですよね?九爺、それ、諦めると言えるんでしょうか。