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天天晴天:台湾ドラマと中華なドラマ

台湾ドラマや中華なドラマの感想を書いています。吳慷仁が好きです。

「風中の縁」(の胡歌九爺) 第33話から第35話(最終話)②

風中の縁

無忌は素敵でポンちゃんはキスシーンが上手でしたが、それでも最後まで九爺派でした。

 

以下、ネタバレあります。

 

 

 

無忌が李佶を射ってしまう場面はちょっとがっかりしました。オープニングで流れる映像なので射られるのは知っていましたが、オープニング映像は数秒ですし、直前映像も鹿の大群に向かって弓を引いているわけで。いくら見えにくいとはいえ、あんなおば様と嫁莘月を間違えていたとは。

そしてやむを得ないにせよ、後悔もしないんですよね。間違えたことくらい悔いてもいいのに。でも、そういう現実的な思考こそ無忌なので、仕方ありません。

 

ずっと動じなかった秦湘が李佶の亡骸を目の前に激しく動揺したときには、安堵しました。李佶にはもう少し報われてほしかったです。

 

圧勝しても消せない九爺。

無忌は莘月を妻にし、子まで成したわけで、いまさら莘月を失うはずもありません。それでも無忌は九爺を消し去れません。

無忌が最も後悔していることは、莘月と出会った月牙泉で別れる時に正体を明かさなかったこと。もし明かしていれば、莘月が九爺のもとに行くことなくはじめから自分のもとに来たのに、ということでしょうか。

でも、この言葉を聞いた莘月は、あの泉のそばで最初の知り合ったのは九爺だった、と考えます。莘月は、申し訳なさから九爺の幸せを願っているようにも見えるのですが、結局、忘れられない人でもあるのですよね。自分を忘れて幸せになって、という台詞が何度となく出てきますが、莘月こそ九爺を忘れてあげてほしいです。

そして、そんなところで九爺登場。砂漠で悲しい音色の笛を吹く変わり者の正体は九爺。この遭遇が意図したものなのか偶然なのか。無忌は強引にこの地での野営を決めましたし、偶然ではないのでしょうね。

 

死んだふり作戦に同意しない無忌に恨まれる覚悟で九爺が実行した死んだふり作戦でしたが、無忌は、別の毒矢も受けてしまいました。

ここで莘月が無忌の負傷を隠しつつ砂漠の名医を集める方法がすごいです。

無忌の女が果実で食中毒を起こした、その女は衛嬗の母。

強力な九爺ホイホイ。

無忌を救うために九爺の自分への好意を利用するわけですから、嫌な感じがしてもおかしくないのですが、なぜかじーんとしてしまいました。もう感覚がおかしくなっているのかも。

 

自分の身体で毒を試すとは、もはや常軌を逸しているようにも思えますが、九爺には九爺の考え方があると思えるので、この人が思う通りにやったらいい、という気がしてきます。

途中、石風が、いくら自分の身体で毒を試しても莘月は九爺を愛さない、と彼を止めようとしますが、今の九爺は愛されるためにやってはいないのですよね。九爺の精神性の高さからくる利他的な行動が序盤から見られているので、行き過ぎていながらも九爺ならばそうするだろうと思えます。それでも、左脚まで失うということは彼にとってあまりに過酷です。

 

愛した女性に、自分が愛した時のままでいてほしい、そのままの彼女に幸せになってほしい、というのは、男の浪漫みたいなものでしょうか。

 

九爺が莘月にキスをするシーンは泣けました。落ち着いた穏やかな様子から莘月への思いが高まりキスをして涙をこらえるまでの一連の場面の九爺、いえ、胡歌がいいです。すっかり持っていかれてしまいました。

思いを抑え達観している様子も、悲しげにも見える表情でキスをする様子も、涙をこらえながら莘月を手放すかのように彼女の手を無忌の手に重ねる時の自嘲するような一瞬の微笑みも、いかにも九爺らしいのです。これが別れを決めた時のキスであること、手放すつらさ、莘月を愛していること、選択が揺るぎないこと、これらがすべて、彼の表情から伝わってきます。胡歌うまいですね。矯正が丸見えでも気にしません。

 

九爺がみたいのは、砂漠の中を自由気ままに駆け回る莘月。

これは本当にそうなんだろうなあと思ってしまいました。

九爺は莘月には何も残さず、無忌宛に手紙を残します。共に願いを叶えた、広い砂漠でお互い自由に生きる、再会の約束はしないまま別れよう。

その手紙を無忌に見せ、彼はもういないと言う莘月に向かって、無忌が、君を諦めなければ彼は幸せになれない、というのですが、九爺にとってはまったく異なるのだろうと思いました。莘月の幸せのために去った九爺は、無忌の言う意味では諦めていないはずです。

 

この物語の中で、無忌は現実であり肉体的な存在です。莘月を抱き上げ、身をもって彼女を守ります。そして結婚も、莘月が無忌を選ぶと決めるよりも先に身体的に結ばれたことで決まっていきます。愛する夫であり、子供の父親であり、現実を共に生きる相手です。

一方の九爺は心の中の存在であり精神的。先に月牙泉で出会ったのは九爺、先に彼女を見初めたのも九爺、彼女が先に愛したのも九爺。タイミングを逃し結ばれなかったけれど、愛する人は無忌だけれど、それでも心から消し去ることのできない存在。

この二人の対比はかなり明確で、住み分けるように描かれていたので、二人の男性を同時に思っていても共感しやすかったのではないかと思います。

 

石風を一人立ちさせ、石謹言を失った九爺はひとりになってしまいました。謹言を失った時の九爺が、これまでとはまったく違う涙を見せるのですよね。

謹言、あのとき、毒を一気飲みしたのがまずかったんじゃ…。

 

ラスト、「好好過」が流れて九爺の姿で終わったときには、主役は九爺だったのでは、と思ってしまいました。

九爺がひとり、という結末は予想していましたが、最後の台詞“世にある美しいものは皆同じではかなく消えるけれどわずかな間でもすばらしい感動を与えてくれる”という言葉は非常に九爺らしく、九爺の精神世界を十分に感じさせてくれました。九爺の中にある莘月の物語を見終わったかのような印象すら受けるラストシーン。いい扱いな九爺(胡歌)。

 

九爺派にとっては切ないけれど満たされた終わり方でした。

 

「琅琊榜」の梅長蘇と似ているようでいてまったく異なる九爺。最後まで見終わって、好きなのはやっぱり九爺です。